今日の夕方、お世話になっている方と偶然お会いして久しぶりだったので色々とじっくり話しこみました。
「勝尾城筑紫氏遺跡」の話から昨日のNHK大河ドラマ「功名が辻」の話になり、そこから「本能寺の変」の話になりました。
織田信長は名器といわれる茶道具を多く所有していたそうですが、本能寺にも多くを持参していたそうです。明智光秀に襲われて信長と一緒にその持参した多くの茶道具も焼失したと伝えられております。
その茶道具にちなんで...
織田家臣団の中で織田信長から茶道具をいただいた者は明智光秀、羽柴秀吉、そして柴田勝家の3人で、丹羽長秀や滝川一益等は最後までいただけなかったそうです。
当主から茶道具をいただくということは、その茶道具をつかって茶室外交をしても良いという意味があって、茶室の中という密室でその家を代表して相手方と交渉することを許す、それだけ信用できる家臣にしか茶道具は与えなかったそうなのです。
なるほど一理言えるのではないかと思いました。
非常に興味深い話であったので、自分なりにもう少し調べてみたいと思います。
今日聞いたお話で他におもしろそうで興味深い話がありましたので、また後日書いてみたいと思います。