今年も残すところあと二日になりました。
あっという間の1年でした。県議として3年目を精一杯頑張ってきました。住民の皆様の要望に充分に応え切れていない面も多々あろうかと思いますが、できる限りの努力はしたつもりです。また突然の衆議院総選挙で予定が狂い、そのまま佐賀市長選挙、鳥栖市議会議員選挙と夏から秋にかけて4ヶ月間3つの選挙に集中して取り組み、あっという間に師走を迎えたという感じです。そしてJCラストの年に、日本青年会議所に出向し、没頭してJCライフを楽しみました。全国にできた同志とはこれからも良い関係を築いていけたらと思ってます。
6月からは私立幼稚園PTA連合会の会長に就任しておりまして、いまだ暗中模索の状態ですが、徐々に進むべき方向性が見えてきたようにも思います。来年はJCも卒業しましたのでPTA会長職に今まで以上の時間を割いて子どもたちのために努力したいと思っております。
今年もおせわになった方々が、急いで逝ってしまいました。残念です。あまりにも突然にいなくなってしまった方、もう少し話しがしたかった方、あと一杯酒を酌み交わしたかった方、いろいろです。北九州の飯山さんは、昨年の夏「肝臓が癌になっちゃった」と打ち明けてくれました。今年の5月に電話したときは、「また8月に若松で会おう」とおっしゃっておられたのに、その直前になって旅立たれました。8月の湯布院映画祭には「入院していたらはってでもいく、死んでいたら化けてでもいく」といわれていたとか。飯山さんらしい言葉だなぁと思いました。
我々が、若いとき競馬場の駐車場でドライブインシアターをやったとき映写機を持ってきて映写してくれた方なのですが、その飯山さんがいなかったら、今の私は考えられないと言っても過言ではありません。喪中の葉書を出したいくらいです。それだけ影響を受けたし、お世話にもなったし、育てていただいた、と思ってます。そのくせに入院していたときも、元気になるものと思い込んで見舞いにも行かなかった。訃報に愕然として申し訳なくおもいました。葬儀のときに、死に顔を拝ませていただいて最期のお別れができたのがせめてもの救いだと思います。飯山さんのご冥福を心からお祈りいたします。
その飯山さんに世話になった連中が集まる忘年会が今日あります。毎年、12月30日に開催と決まっているのです。飯山さんも北九州からよく足を運んでいただきました。今日は飯山さんを偲びつつ、賑やかに今年最期の、そして飯山さんとの最期の忘年会のつもりで派手に騒いできます...飯山さんは化けて来てくれるでしょうか?...なんか涙が出てきた.....飯山さん泣いてごめんなさい!今晩お待ち申し上げております!