今日の佐賀新聞の「有明抄」は考えさせられる。
朝から気分が重い。世の中の不公平というか、矛盾というか、疑問に思わざるを得ません。
奥野修司氏の新刊『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)に書かれている、ある事件の事を書かれていました。その事件とは、新聞からそのまま一部引用いたしますと、
事件は1969年4月。神奈川県内のカトリック系私立高校で、高1男子が同級生の首をナイフで切断、殺害した。
そのあとが読むのがつらかった。
被害者の生活はあまりにもつらいものだった。人格障害を疑われるほど一時は錯乱した母親。そんな妻を必死で支えようとする父親。「ほらっ、あの事件の…」という世間の好奇にさらされリストカットでバランスをとろうとした妹。経済的困窮
加害者はというと...
驚くのは、今なお謝罪も、金銭的なあがないもなく、被害者の知らないところで見事に“更生”した少年Aの今である。地方都市の一等地に事務所を持つ弁護士で、その町の名士となっていた。
この加害者と被害者のその後のギャップはなんなのでしょうか?たしかに罪を犯したときは少年だったから、名前も顔も少年法で守られます。成人だったらこうはいきませんが、それでも刑が確定されて服役すれば、その時点から名前も顔も伏せられるのです。たしかに人権保護と言う面からは、更正しようと努力中だからしかたありません。でも被害者の方々はどうでしょうか?今日の「有明抄」を読む限り、人権も何もあったものではありません。守られるべきは被害者側ではないでしょうか?好奇の目にさらされる被害者こそ守ってしかるべきだと思います。
と、早朝から、新聞を読んで強く思いました。でも、じゃぁどうすればよいのか?と問われればその手段はみつかりません。
有明抄も最後は
少年事件の更生(社会復帰)とは何か―を考えさせる一冊である。
と結んでいました。
全く同感です。早速、この本を注文いたしました。