「ふっと心がかるくなる禅の言葉」から。
喫茶去。「きっさこ」と読みます。
「まぁお茶でも召し上がれ」と言う内容の言葉です。
誰にでもわけへだてなく、ただ等しく「お茶でも飲みなされ」とすすめることばに、まずはいろいろな執着を捨て、利害や相手の地位・賢愚を超えて、分けへだてなく相対することの大切さがこめられています。茶道において、茶室ではその客はその地位や肩書きのいっさいを脱ぎ捨て、亭主は老若男女すべての客に平等に接します。日々の暮らしでも相手によって態度を変えたりすることなく、いつも泰然として平常心でありたいものです。(本文より)
いろんな方の家をよく訪問します。そんな時「お茶でも...」と勧められます。そういう時は、とにかくお茶をいただきながら、自分の訪問理由はあとにして、いろんな話をして一服させていただくことも試みてみたいと思います。そこから初めて見えてくることもあるだろうし、「お茶でも飲んで出直せ!」と言う意味も、この言葉にはあるそうですから、一息ついて一区切りつけてまた頑張ることが出来たらと思います。当分はそんな余裕もないのかもしれませんが...